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昭和(戦後)以降(とよたの歴史)

ページ番号1004599  更新日 2018年10月11日

豊田市の歴史をご紹介します。


市制施行

戦前から挙母町を市にしようとする動きはありましたが、深刻化する戦時体制や、人口が規定に満たないなどの事情から、なかなか実現に至りませんでした。しかし、戦後に入ると、碧南市や刈谷市など近隣の町でも次々と市制施行が実現し、「挙母市」に向けての要望はいっそう高まりました。
こうして1950(昭和25)年12月、臨時議会が「挙母市制施行申請書」を県に提出し、翌1951(昭和26)年2月の県議会で全会一致の可決を得て、3月1日、待望の「挙母市」が誕生しました。

市名変更

[画像]写真:長坂市長が市庁舎に「豊田市役所」の看板を揚げる写真。(6.5KB)

1959(昭和34)年1月1日、当時の長坂市長が市庁舎に「豊田市役所」の看板を揚げました。
挙母市は、1954(昭和29)年に「工場誘致奨励条例」を公布し、自動車産業を中心にした工業都市に向けて、本格的に動き出しました。これにより自動車関連工場が大小合わせて60数社に増加しました。
自動車産業が本格的に起動に乗り始めた1958(昭和33)年、商工会議所から市あてに市名変更の請願書が提出されました。理由は、挙母市が全国有数の「クルマのまち」に成長したことと、地名の「挙母」が読みにくいということでした。挙母という地名には歴史があり、愛着を持つ市民も多く、一時は賛成・反対で市を二分するほどの論議が展開されましたが、翌1959(昭和34)年1月、自動車産業とともに発展することを誓って市名を「豊田市」に変更しました。
挙母の名前は市名から消えましたが、市内の町名(挙母町、上挙母)、駅名(上挙母)、学校名(挙母小学校、挙母幼稚園)、祭り名(挙母まつり)などに今も残っています。
さらに1960(昭和35)年には、市制10周年記念としてアメリカ・デトロイト市と姉妹都市提携を行いました。このように、豊田市は国内にとどまらず広く海外に向けても「クルマのまち」として積極的なPR活動を続けていくことになります。

昭和の合併

[画像]画像:愛知県、豊田市の地図(10.8KB)

1951(昭和26)年市制発足(1)以来、国の方針にのっとり、1956(昭和31)年の西加茂郡高橋村(2)を皮切りに、1964(昭和39)年に碧海郡上郷町(3)、1965(昭和40)年に碧海郡高岡町(4)、1967(昭和42)年に西加茂郡猿投町(5)、1970(昭和45)年に東加茂郡松平町(6)と、隣接する町村との合併を積極的に行いました。これらの昭和の合併によって、ついに市域は市制施行当時の7.5倍にまで拡大しました。
そして、2005(平成17)年4月1日、西加茂郡藤岡町(7)、小原村(8)、東加茂郡足助町(9)、下山村(10)、旭町(11)、稲武町(12)と合併し、人口約40万人、面積約918平方キロメートルの新生豊田市として新たなスタートを切りました。

中核市

1994(平成6)年、豊田市は「地方拠点都市地域」に指定されました。そして、ますます多様化する地域ニーズに的確で、効率的に対応しながら、地方分権の先駆けとしての役割を担っていくために、1998(平成10)年4月に中核市に移行しました。
こうして名実ともに一大都市として成長を遂げた豊田市。今後は、将来都市像である「活力ある産業・豊かな文化・世界に広がる交流のまち」の実現を目指して、豊田市の特性を生かしたまちづくりを進めていきます。


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